2000年 夏(前編)

9月に入っても厳しい暑さが続いておりますが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
第82回全国高等学校野球選手権大会は8月8日から8月21日まで1日の延期もなく、予定どおり甲子園球場で行われました。

今回は20世紀最後の大会ということで育英高校(兵庫)上野浩一主将も
「日本中に夢、希望、感動を与え、21世紀への掛け橋とすることを誓います」と宣誓しました。
私も20年間続けた現役審判を、今回で引退することを決意して臨みましたので、ことのほか思い出深い大会となりました。

1.始球式

例年、始球式は文部大臣が行っていましたが、今夏は有珠山の噴火に苦しむ北海道・虻田高校野球部の工藤主将がマウンドに立ちました。
力が入り過ぎ、危うくバッターに当たりそうになりハッとさせられましたが、
スタンドからも"頑張れよ"という大きな声がかかり、なかなかいい情景でした。

被災地といえば三宅島も大きな被害に遭っていますが、今年の挨拶で朝日新聞社の箱島社長が選手たちに
「苦しんでいる多くの球友がいることを忘れないで下さい」と話しかけられたのはかみしめるべき言葉だと思います。

あの阪神・淡路大震災のとき、被災地兵庫のチームワークが大変良かったのを思い出します。
彼らは大禍の中で人と人とのつながりの大切さを実感したのでしょう。
ところがあれから5年たった今年は、和に欠け、失敗した選手をなじる場面がまま見受けられました。
喉もと過ぎれば何とやら。
平穏に野球が出来る喜びはいつまでも忘れないで欲しいと思います。


2.開会式

開会式の祝辞で文部政務次官が開口一番「おはようございます」と挨拶されました。
開会の緊張のせいか、大勢の中で声を出すのが恥ずかしいのか、今までは誰も返事をしなかったのですが、
今回は整列している選手の中から大きな声で「おはようございます」と返事がありました。
米子商業(鳥取)の選手です。

政務次官が「もう一度皆さんで元気良く挨拶しましょう ― おはようございます」と繰り返されましたが、返事をしたのは米子商業の選手だけでした。

挨拶を返すのは当たり前のことですが、こうした場面では難しい事です。
米子商業の教育方針なのでしょうか、選手の自主的判断なのでしょうか。
若者らしい大らかさは好感が持てました。

3.役者ですねェ

一塁々審をした浜松商(静岡)と福井商の試合でこんな事がありました。

ワンアウト2塁で浜松商の坂本君が空振りの三振をしたのですが、捕手が取れずにバックネットまで投球が転がりました。
当然1塁に走ってくる(いわゆる振り逃げ)と思ったのに茫然とバッターボックスに立ち止まっているのです。
チームメイトに"走れ、走れ"といわれ、疑心暗鬼で1塁まで来ました。
しかし、私の方を見て「僕ここにいていいんですか」と聞きます。
「ああ、いいよ」と答えた時タイムがかかり間が出来ました。
坂本君、まだ納得出来ないのか、「ランナーがいても振り逃げ出来るんですか」聞きます。
「ノーアウトかワンアウトでランナーが1塁にいる時はだめだけど、それ以外はいいんだよ。何故だか分かるかね。頭を使って考えてごらん」と言ったら、
間髪を入れずに「僕、頭は強くないです」ときました。
何と率直な!思わず笑ってしまいました。

このルールは大学生や社会人でも間違える人が多く、よく起きる割には理解されていないものの1つです。
みなさんは理由がお分かりですか?

三振をしても捕手が直接捕球しない(ワンバウンドしたのを捕ったり、捕り損ねたりした場合)限り、打者はアウトにならないのが原則です。
これを振り逃げといい、打者は1塁に走る権利と義務が出来ます。
従って、1塁にいたランナーは1塁を明けて2塁に走らなければなりません。
ところがノーアウト、ワンアウトでランナーが1塁にいた場合にこの原則を貫くと、捕手→2塁→1塁というように、簡単にダブルプレーが出来てしまいます。
そのためこのケースでは打者を自動的にアウトにするのです。

しかし、どうしてどうして坂本君(彼は投手)。
次の回にひどくぎこちない動作でけん制球を投げました。
私も随分不器用な投手だなと思いましたが、ランナーも油断して少しリードを大きくしました。
その瞬間、実に素早いけん制で見事にアウトにしました。
頭は強くないどころか、本当はかなりの策士なのかもしれません。

4.最後のグラウンド

大会が始まる1ヶ月位前、娘達から「今年で甲子園の審判は辞めたら」と言われました。
私自身もここ1、2年"少しきつくなって来たかな"との実感もあったのですが、いざグランドに立つと実に爽快で、また判定もなかなかのもの(!?)なので
ついつい続けてきたのですが、娘達は敏感に父親の体調を見抜いていたのでしょう。
実際、今年もなかなか疲れがとれず、この"たより"も遅くなってしまいました。
最後の試合は智弁和歌山対東海大浦安(千葉)の決勝戦の1塁審判でした。

55000人の超満員の観衆の中で、追いつ追われつの大熱戦を若い選手と共に味わえたのは審判冥利と言うものでしょう。

この決勝戦で感激したことが3つあります。

1つは家族です。

父親の最後の試合だと言うので、娘達は開門の3時間前に球場に駆け付け、1塁に1番近いところに席を取って沢山の写真を撮ってくれました。
物心ついたときには父親は審判に明け暮れ、いつも寂しい思いをしていたに違いないのですが、こうした心遣いをしてくれたのには、
しみじみとしたものを感じました。
また、家内が準決勝、決勝と暑い中を応援してくれたのも、心に残る贈物でした。
試合終了の挨拶の後、思わず家内に頭を下げていました。

次は観衆です。

決勝戦で智弁和歌山が勝った時には、地鳴りのような拍手が起きましたが、それ以上の賞賛で敗れた東海大浦安の浜名投手に送られました。

閉会式の"講評"で牧野日本高野連会長が「智弁和歌山の打撃は高校生離れしたものでしたが、東海大浦安の浜名投手の頭脳的投球には
目を見張るものがありました」と話されたときに、智弁和歌山の応援席も含め、球場全体から万雷の拍手が寄せられました。
浜名君は本来2塁手ですが、主戦投手が怪我をしたこともあり、千葉県の予選から甲子園の決勝戦まで10試合以上を、170cm62kgの身体を目一杯使って、
ほとんど1人で投げ抜きました。
決勝戦では途中から握力がなくなり、1イニングで3つもデットボールを出すほど疲れ切っていましたが、それでも笑顔を絶やさず、8回を投げ切りました。
9回に交代し2塁に戻った時には、キャッチボールも出来ない状態でした。

最後の試合をこうした名投手と共に出来たことは、何にも替え難い思い出ですし、甲子園のファンが、よく闘った者、力を出し切った者を
誰よりよく知ってくれる事に、何とも言えぬ爽快感を覚えます。

3つ目は智弁和歌山の高嶋監督です。

閉会式も終わり、決勝戦を共にした審判と審判控室で感想や思い出などを話し合ってあたときに、突然高嶋監督がユニホーム姿で入ってこられました。

決勝戦を審判した事に対する挨拶かなと思っていたのですが、私に向かって「永い間お世話になりました」と深々と頭を下げられたのです。

私が引退することは前日の毎日新聞に出ていたので、それで知られたのだと思いますが、優勝の取材とか祝福などで忙しかったに違いない中を、
ここまで気配りされた事に感激するとともに、優勝チームの監督はさすがだなと思いました。
この監督のもとで、智弁和歌山の選手たちは優勝以上のものを沢山学んでいるに違いありません。