1999年 夏 (後編)

6. 今大会の人気者

準々決勝で、地元兵庫の滝川第二と岡山理大付属の球審をしました。
スタンドを埋め尽くした大観衆の中で判定をするのは、心地よい緊張感があります。
ところで岡山の森田捕手は180cm、105kg(実際はもっと重いらしい)の巨漢です。
試合前、捕手には"元気でいこう"と声をかけることにしているのですが、普通は固い表情で"ハイ"と答えます。
ところが森田君はニッコリ笑って"ファーイ"と言いました。何とも可愛らしく、思わず吹き出しそうになりました。

きわどい投球をボールと判定すると、大きな背中をもじもじさせて、いかにも"おかしいなあ、残念"という仕草をするのですが、
それが全く嫌味がありません。
この試合で、3塁線を抜く当たりをしたとき、巨体を震わせて2塁に向かうとスタンドから"うおー"というどよめきが起きました。
普通のランナーなら裕々セーフなのに間一髪で滑り込む(転げ込む)と大歓声が起きました。

優勝戦で負け泣いていたのをみたとき、胸が痛みましたが、間違いなく今大会を盛り上げた1人です。


7. 群馬にないものが1つ減りました。

本命なき戦いを制し優勝したのは桐生第一でした。
中心は正田投手でしたが、私には守備が洗練されていたのが印象的でした。

好投手今西君の比叡山(滋賀)、高木君の静岡、上野君の樟南などと当たったのもよかったのかもしれません。

投手戦となり、テンポの良い試合になると守備も波に乗れるものです。
反対に投手の投球間隔が長く、ボールが多いと守っているほうも緊張が持続できずエラーをしてしまうものです。

正田君は、高校生の中に1人だけ大人が混じっているような落ち着いた雰囲気がありました。
決して気負わず、ピンチになっても笑顔を絶やさなかったのは見上げたものです。
現代的なハンサムな顔ではなく、ちょっとしぶい、おじさん、おばさん好みのタイプというところでしょう(ちなみに大会期間中、
私達審判員のスパイクを磨いたり、食事を運んだりの世話をしてくれたアルバイトの16,7歳の女の子の評は"おっさんみたいだなァ"ということでした)。

ところで群馬県の某知事が数年前、スポーツ関係者の集まりの席上で、"群馬に無いものが3つある。
美人の女優と海と甲子園の全国制覇だ"と激励(?)されたそうですが、関東地方で春・夏を通じ唯一優勝経験のなかった群馬県にも、
待ちに待った優勝旗が来た訳です。
心からお祝いしたいと思います。

甲子園に行く度に、今度は"便り"にするような事があるんだろうか、と期待と不安を持つのですが、期待が裏切られたことは1度もありません。
こんな素晴らしい思い出を創ってくれた高校生に感謝しながら、今夏の便りといたします。

平成11年8月

《回答》

正解は(3)

野球規則3.08交替発表のなかったプレーヤーの取り扱い
(a). 代わって出場したプレーヤーは、たとえその発表がなくても、次の試合に出場したものとみなされる。
(1)投手ならば、投手板上に位置したとき。
(2)打者ならば、バッターボックスに位置したとき。
(3)野手ならば、退いた野手の普通の守備位置についてプレーが始まったとき。
(4)走者ならば、退いた選手が占有していた塁に立ったとき。
(b). 前項で出場したものと認められたプレーヤーがプレー、及びそのプレーヤーに対して行われたプレーは、すべて正規のものとなる。
(注1)よく間違われるのは打順の間違いとの混同です。
    例えば3番打者のところで4番打者が間違って打った場合、アピールがあれば3番打者にアウトが宣告され4番打者がもう1度打つことになります。
    アピールがなければ4番打者が正当化され、次に5番打者が打ちます。
    これに反し、代打は打順の間違いではありません。
(注2)上記(a)(3)の「プレーが始まったとき」という文章は1981年に入れられました。
    それまでは「退いた野手の守備位置についたとき」となっていました。
    それが「プレーが始まったとき」と改められたのは、次のような事が起きたからだそうです。
    '79年の米大リーグ、ヤンキース対タイガースの試合で、攻守交代のとき、ヤンキースのクリス・シャンブリス1塁手が
    "用具の修理"をするためベンチで待機していた。
    その間に控えのピネラ選手が1塁手をつとめ内野手を相手に守備練習をさせた。
    プレー再開になる前にシャンブリスが戻って1塁の守備につき、"プレー"を宣したとき、
    タイガースの監督が「ピエラがシャンブリスの守備位置についたと同時に自動的に1塁投手になるはずだ」と抗議した。
    球審は、この抗議を認めなかったが、これからも同様の抗議が起こるかもしれないことを予想し、現在のように改めたのだという。