2000年 春 (後編)

4.甲子園の魔物

甲子園には魔物が棲んでいて、人知では想像もつかない事が起きると言われます。

私が球審をした国学院栃木 対 九州学院(熊本)でも魔物を感じさせるシーンがありました。
スコアは次のとおりです。

栃 002 000 004 6
九 000 001 040 5

この9回の4点は次のような形でした。
ワンアウトの後、次の打者のフライをレフトが落球して1死2塁。
続く打者のファウルフライを今度はファーストが落球して命拾い。
その直後の3塁ゴロがイレギュラーヒットになって1、3塁。
その後3連打が出て合計4点が入りました。

レフトとファーストが捕球しておれば九州学院が勝った試合です。

この日の他の2試合[福島商対北照(北海道)、長崎商対岩国(山口)]も、いずれも9回に逆転したり、同点に追いつかれたりの白熱戦で、
翌日の新聞は「あまりに劇的、あまりに残酷・・・"これがメー9ドラマ"」とありました。

勝って校歌を歌う国学院の選手が喜びを爆発させていたのが印象的でしたが、あれは歌ではありません。
歌詞を絶叫していただけです。
隣の審判と"なんだ、これは"と吹き出しながら聞いていました。
楽しい1コマでした。

5.雨も必要(?)

例年選抜大会には雨が降り2~3日順延になるのですが、今年は天候に恵まれ、予定通りに進みました(開会前日と閉会翌日は大雨だったとか)。
大会期間中大阪に滞在し、仕事から離れてしまう私にとっては誠に有り難かったのですが、選手には辛かったようです。

準決勝(国学院栃木対智弁和歌山)では、いくら声をかけても選手が応えてくれません。
げっそりとした顔をして、攻守交代も実にのろのろ。
試合も10対2という大差となり[もう1つの東海大相模(神奈川)対鳥羽(京都)も11対1]味気無いセミファイナルでした。
投手もストライクが入らず、エラーも続出。
ボールくさい投球の中から少しでも多くストライクを拾うという展開は、審判にとって何ともせつないものです。

こんな事では決勝戦(智弁和歌山対東海大相模)はどうなる事かと心配していたのですが、緊迫した素晴らしい試合となり、
審判をしていても快い緊張感がありました。
優勝は東海大相模でしたが、智弁和歌山もリードされるとすぐに追いつくなど見事な戦いぶりで、スタンドからも大拍手が起きました。

優勝戦では東大野球部の大先輩で、前日本学生野球協会会長広岡知男氏(92)が始球式をされました。
試合前に挨拶に行ったのですが、始球式に備えて3日間神宮球場でキャッチボールをされたとか。
これだけでも驚異ですが、"元に戻るには1ヶ月は練習しないとダメだね"と言われたときには、唖然として言葉が出ませんでした。

恐るべき気力。
大いに見習うべきでしょう。


6.男所帯の清涼剤

大会期間中、私のように東京から出掛けた審判(今回は5人)と地方から派遣された審判(例年8人)は、
日本高等学校野球連盟内にある宿泊施設で共同生活をしています。
起床(6時頃)から就寝までいつも一緒で、小学生の修学旅行ほどの自由時間もありません(アルコールも一切なし)。

地方から派遣された審判の人達は、我々の審判振りから何か学ぼうと実に熱心にノートをとったり質問をされたりします。
かつては年功序列式に比較的年をとった方が派遣されて来たのですが、最近は中堅クラスのこれから指導者になる人が多く、
質問も正鵠を得ているし、視点も確かです。
ただ、一般的に言える事はマニュアルどおりには出来るのですが、今一つ機転が利かない。
例えば2累々審をしていて内野ゴロが打たれた瞬間、(1塁でエラーがあってランナーが2塁に来るかもしれないので)2塁審判も2塁のベースの方に近づく
と言った心遣いが必要なのですが、大抵の人は1塁でエラーがあってから慌てて2塁に向かってスタートを切るのです。
これでは落ち着いた判定が出来ません。
100回のうち99回無駄であっても、1回の成功のために万全を尽くすのが審判のセンスなのです。

それはともかく、朝から夜中まで男ばかりで暮らすのは何とも侘しいもので、5日もすると里心がつきます。
そんな中で、東京から行っている林君(早稲田OB)と小山君(法政OB)の明るい人柄には大いに助けられます。
他の審判の物まねをしたり、自分たちの失敗談を面白おかしく話したりして、雰囲気を和らげてくれます。

今年もこんな事がありました。

球審は試合開始前に両チームの部長と主将に試合での心構えなどを話すのですが、その際小山君が"君たちは全国から選ばれた代表です。
試合中は全力疾走ですよ。いいですか、全国疾走ですよ"とやったとか。
それを聞いていた林君(どうも2人はお互いに相手がおかしな事を言うのではないかと、監視しあっているようです)が、
宿舎で小山君の口調をまねて披露したので、大笑いとなりました。

2人とも研究熱心で、また人の評価も実に公平なので、教えられる事が沢山あります。
このまま順調に成長して行ってほしいと願っています。

選抜大会は3年生と2年生がプレーしていると言っても、実質的には2年生1年生。
今一つ迫力がないのが現実です。
これが4ヶ月後に開催される選手権大会になると"えっ、これがあの選手"と思う程上手になります。
高校生の可能性は無限です。
そうした選手達の活躍をお伝えするのを楽しみにしながら、第72回大会の便りといたします。

皆様のご健勝を心よりお祈りいたします。


平成12年4月